テクニックに頼らない本当の‘技術’
つかこうへいの演出、それは「役者の目の光、汗を見せること」。
そのために、演出を固定化させないのだという。その強い姿勢に、僕は演出家としてのむきだしの情念を感じた。
例えば、つかの舞台の稽古場では「口立て」を頻繁に行う。それは、大衆芸能でしゃべりながら新しいセリフをつけるという手法で、稽古で役者がセリフを言いよどむと、台本にはない別のセリフに置き換えてしまうのだ。
口立てとは、役者が持つ言葉、役者自身の生活の中で生まれる言葉を探し、その言葉を用いて、より生きたセリフに書き換え、体全体から発してもらうために行うもの。つかは、役者がセリフを舞台の上に置こうとすること、言葉を口先だけで話そうとすることを許さないのだ。
これは、一見簡単なことのように思えるが、実は大層難しいことだろう。なぜなら、そこに理論上のテクニックは介在せず、演出家と役者が、相互にいかに感情を剥き出しにするか、その一点にかかってくるからだ。演出家が、じかに役者の感情をあおり、飾りを剥ぎ、限界状況に追い込む。それに対して役者が、内からにじみ出るような言葉を探し、発する。
それは、究極のコミュニケ-ションの形と言い換えられるのではないだろうか。テクニックに頼らない、本当の技術の‘におい’のするそんな舞台を、今度、僕は観に行きたいと思う。
「あのセリフは、口立てして変更されてるのかもね」
そんな風に、舞台裏を予測しながらの演劇観覧も、楽しいものだろう。
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